徒然に記すこと

クラシック音楽好きにおける妄想力の必要性

私がクラシック音楽に目覚めたのは、1980年代でまだ10代の頃。CD登場前でソースの取得はレコードかFMのエアチェックが主でした。レコード芸術にも元気があり広告も多彩で賑やか、音盤批評の本もたくさんありました。ただクラシックのレコードは店の片隅にしか置いてないし、NHK-FMしかまともに取り上げてくれない時代でもありました。レンタルが始まった頃でもありましたが状況は同じ。朝比奈隆のレコードが置いてあるわけがない。レコード芸術で読んで・広告を見て聴きたい・手に入れたいと思ったものでも入手は簡単ではありませんでした。

特に古い音源はプライヴェート盤LP(私家盤)として流通。廃盤になったものや古いラジオ音源などはそういったものでしか聴くことができませんでした。通常のLPよりも流通量少なく、また高い。

しかも盤質・音質はまず劣悪など問題はありましたが、クナッパーツブッシュの音源はメジャーレーベルからは発売されないため手を出さざるを得なかった。CDになってからは海賊盤という名称になりましたが状況は一緒。ただし金額は安くなったので昔に比べればと無駄金を結構使ったものです。CD時代はカルロス・クライバーとチェリビダッケの音源でした。

図書館で音盤批評の本を借り、評論家の文章を読むことで「録音はいいだろうか、こんな演奏だろうか」と妄想を膨らませて、いつか聴いてみたいものだと夢見ていました。評論家は「カラヤンは前回の録音よりも格段にオーケストラ全体を掌握して、自身の美学をより徹底してベートーヴェンを再創造している。〇〇のアプローチとは正反対の・・・」なんて書かれてあっても、前回の録音も聴けていないし〇〇の演奏も知らない、また「掌握」「美学」という神秘的な言葉にときめき「相当凄い演奏なんだな」と頭の中に想像しながら音を鳴らしていたものです。実際には全く違いましたが。

この表紙に今も時めく。
当時いろんな音盤・コンサートを聴き比べることができるのは、時間とお金に相当余裕がある人か評論家しかいませんでした。そのため耳が肥えているのは評論家であり、その意見を信じてなけなしのお金をどのレコードに費やすかを決めていました。当然当たりはずれがかなりあり、自分の感性とあった評論家を見つけ、その人が薦めるならば買おう、または猛烈に聴きたいという衝動に駆られる流れになるわけです。私にとっては吉田秀和さんであり宇野功芳さんがそれでした。

メジャーレーベルはCD時代になっても金額はそこまで変わらず状況は同じでした。コンサートの金額は90年代に入り馬鹿みたいに高くなってより手が届かない存在になってしまいましたが、それゆえ逆に有名オーケストラ・演奏家は頻繁に日本に来てくれるようにもなりました。その後、輸入CDが入ってきて価格が下がる、著作隣接権が切れた音源が廉価でしかもまとまってCD化されることにより、幻に思えていた音源が聴けるようになりました。それに伴い評論家の特権は徐々に薄まっていくことになります。

最後はyoutube普及、ブログ・HP・商品レビューがダメ押しなった。レコード芸術が廃刊になるのも仕方が無かったと思います。発売されているものについては月刊よりも早く評判や実際の音が知れてしまう時代になったのですから。評論家よりも一般リスナーの声の方が位置づけとして上になったとも言えます。これにより失敗CDを購入するリスクは減り無駄金は使わずに済むようになりました。下手すれば買わなくてもyoutubeで見れて聴けてしまう。しかもいつでもどこでも。そのため所有欲も落ちてしまいレコード産業までもが衰退することとなってしまったのは寂しい限りです。

そんな流れの中、音楽についての文章を読むことも少なくなる、まだ読んだとてすぐにyoutubeで聴けるようになったことから、「こんな演奏だろうか?」と妄想することがすっかりなくなってしまった。いやコンサートはそうではないだろうという意見もあるかもしれませんが、1つの楽曲への様々なアプローチ方法を予習できてしまっていることもあって、腰を抜かすほどの感動を得ることは昔に比べればできなくなっていると思う。これらはいいことのようで実は結構問題のような気がする。

妄想や創造は、衝動の動機です。逆に言えば妄想することが無くなれば、いろんな衝動が無くなってきているように思う。思春期の異性への妄想に当てはめて見れば想像しやすいかと。今は妄想する間もなく調べてみようと思えば見れるし、AIが理想形を提示してくれる。もう昔夢見ていた音源はBOXで購入し、無駄なCDまでおまけについてくる始末で飽食気味。買おうかなと思っても、youtubeで聴けたら満足とか、レビュー見て「ただ録音は悪い」とか「いい演奏ではあるがベストではないかな」とか書かれていたらもう萎えてしまう。youtube視聴で大方の録音加減や解釈を聴き、レビューの感想を乗り越えて「この演奏をよりいい音で聴きたい」という思いに至るまでのハードルは相当高い。

いい時代になったような気もするが、どこか寂しい気持ちの方が強い今日この頃。いろんな観点から自分で判断して購入するという買い物ができなくなってしまっている。はずれがあるから当たった時の喜びはなお強いのだと、昔の音楽鑑賞にはギャンブルと同じ匂いと強烈な魅力があったのだなと最近になってようやく気付いたのでした。気に入ったCDに囲まれて、今日はこれにしようかなとCDに手を伸ばして聴く毎日は夢見ていたものではあるが、現実になると意外とつまらない。

何に出会えるかわからない中古レコードセールに行き、廃盤がこの段ボールのどこかにないかと一日中夢中でレコード盤を指ではじき探していた時のときめきが今は味わえないのです。

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