十二音技法の創始したアルノルト・シェーンベルク。現代音楽がゲンダイオンガクとなったのは、ここから。ワーグナー、マーラーやR・シュトラウスの音楽で徐々に崩壊の萌芽が見られた調性音楽、十二音技法で完全に調性が無くなり現代的な表現方法を緊張感を伴って表出できる音楽技法だったと思います。後の作曲家に大きな影響は与えたものの、その手法は一般的にはなりませんでした。例外は弟子であるアルバン・ベルクの「ヴォツェック」とヴァイオリン協奏曲ではないでしょうか?

指揮者 オットー・クレンペラーは晩年のフィルハーモニア管弦楽団とのベートーヴェン録音やブラームスの録音に代表されるドイツ音楽、また異質ではあるもののマーラーの録音によって未だに語り継がれています。主に1960年代のEMI録音、名プロデューサー ウォルター・レッグの手による一連の録音が高く評価されています。梃子でも動かせないような堅牢かつ重厚な音楽。でもどこか冷静で分析的な透明感も伴う音。
若かりし頃のクレンペラーはテンポも速く、晩年の指揮姿からは想像できないほど指揮台で暴れまくりながら指揮をしていたとのこと。戦前はドイツのクロル・オペラという前衛的な演出、また現代オペラを主として扱う実験的歌劇場の音楽監督を務めていました。評判上々でしたが、クレンペラーはユダヤ系だったためその職を追われアメリカへ。脳梗塞に襲われ、寝たばこで大火傷を負うなど悲劇に合いながらも。不死鳥の如く戦後徐々にヨーロッパに活動拠点に戻していき大巨匠になったのはご存じの通り。
1950年代はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮台に頻繁に登場し活躍していました。一連のライブ録音が数年前にSACDのBOXとして発売されましたが、この時期のクレンペラーは大成前という印象なのかあまり評判になりませんでした。私も購入にはかなり悩みましたが、最終的に処分価格になったのを見て購入。まだテンポも完全に遅くなりきっておらず、曲によっては早いものもあります。取り上げる曲も多彩でその中にヒンデミットやこのシェーンベルクの「浄夜」が含まれています。戦前の気概・気迫が残っているクレンペラーも中々捨てがたい。
シェーンベルク 「浄夜」
指揮:オットー・クレンペラー
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1955年7月7日 アムステルダム・コンセルトヘボウでのライブ
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シェーンベルク初期の作品でもあることから、まだロマン主義的な名残がありひたすら弦楽器により紡がれる美しい音楽の連なり。そもそもリヒャルト・デーメルの詩「浄夜」に基づき、月下の男女の語らいが題材にしていることもあり、官能的な響きに溢れています。相当に乱暴に説明すると、マーラーの交響曲第9番第4楽章を死側でなく生側の音楽としたらこんな曲になりますと言った感じでしょうか。
カラヤンが1970年代に録音したウィーン学派録音集の録音が高い評価を受けています。またほぼぶっつけ本番となった晩年のライブ録音も録音が少し悪いながらも、スタジオ録音よりも気迫が凄いと反カラヤンの宇野功芳氏も絶賛していました。しかし、それらを聴いても私にはさっぱりわかりませんでした。シェーンベルクであれば、難解でも「管弦楽のための変奏曲」の方が面白い。
ただこのクレンペラーの録音を聴いて評価一変。まだ前音楽監督メンゲルベルクの徹底したトレーニングと甘い音色が残るアムステルダム・コンセルトヘボウの弦楽器響きと、クレンペラーの少し早めのテンポと表現意欲が相まって激しい男女の相関を切迫感もって炙り出している。はっきり言ってエロい。ここまでエロいクラシック演奏は中々ない。
曲も拍節感なく、また調性も曖昧で落ち着かなさのある曲。歌わせ、時に下品なほど弓を弦に擦り付けるような音を出し濃淡をはっきりつけて描いてゆく。不健全で官能的な音色この上ない。現代のオーケストラからは絶対に出せない、これこそその時代だからこその産物だと思います。

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1955年のライブとしては十分にいい録音です。最後のウネリの凄さも下手なステレオ録音よりもいい。安かったといっても10,000位しました。ただこの1曲のために払ったともっても損はしないと満足しました。おまけにベートーヴェン交響曲ツィクルス、マーラーの「復活」などもついてくるなんて。但し現在ではこのBOXは廃盤。残念なことです。ドイツ音楽の巨匠クレンペラーしか知らない方に是非耳にしていただきたい音源です。
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