ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは、20世紀を代表するチェリスト。現代作曲家が彼のために書いた作品も数多い。晩年までチェリストでありながら指揮者としても活躍していました。録音も非常に多く残されている。ドヴォルザークのチェロ協奏曲だけでも何回録音したことか。
ではロストロポーヴィチのドヴォルザークのチェロ協奏曲のCDをファーストチョイスとして持っているかと言えば否。彼の代表的な録音は?と訊かれたら皆さんは何を想像されるのでしょう。「今後二度とこの協奏曲を録音しない」と断言した小澤とのドヴォルザーク、指揮者としてはショスタコーヴィチの交響曲全集とかでしょうか?
ロストロポーヴィチのCDはクラシック聴きたての頃はよく聴いたし棚にあった。しかし今は2枚のみ。リヒテルとのベートーヴェンのチェロソナタと表題のCDのみ。後は全て売却。それを超える演奏が多くあるからという理由。このプロコフィエフに関しては彼に献呈されているし作曲家の相談にも応じて出来た作品ということもあり自家薬籠中。他の追随を許さない。

プロコフィエフ
交響的協奏曲 ホ短調-チェロとオーケストラのための
ショスタコーヴィチ
チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調
チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
指揮:小澤征爾
ロンドン交響楽団
1987年録音
AMAZON → ロストロポーヴィチ プロコフィエフ交響的協奏曲
プロコフィエフ晩年の《交響的協奏曲》は、技巧的な難度だけでなく、音楽の質感そのものが鋭く、時に荒涼とした世界を描きます。ロストロポーヴィチはこの作品の改訂に深く関わった当事者であり、彼の演奏は“作品の内側から鳴ってくる”ような説得力を持っています。プロコフィエフといえば、最近は交響曲第5番ばかりが演奏される傾向にありますが、この交響的変奏曲ももう少し取り上げられてもいい作品だと思います。但し、この曲はチェリストを選ぶ。
この録音でも、チェロは単なる独奏楽器ではなく、作品全体の精神的な核として響きます。冒頭の低弦のうねりから、ロストロポーヴィチの音は重く、深く、そして異様なほど生々しい。晩年でも音は少し細身になったが音色の幅は驚異的で、鋼のように硬質な響きから、息づかいが聞こえるほど柔らかな弱音まで自在に操られています。
小澤の指揮は、ロストロポーヴィチの強烈な個性をただ支えるだけではなく、作品の構造を明晰に浮かび上がらせています。特に印象的なのは、オーケストラのリズム処理の鋭さと、音色の透明感。プロコフィエフ特有の“機械仕掛けのような推進力”が、冷たさではなく、むしろ緊張感と集中力として立ち上がってくるのが小澤らしいところです。
初演後すぐに録音したザンデルリンクとの録音。録音とオーケストラの精度は落ちる。逆にテクニックはキレキレ。
第二楽章のスケルツォでは、オーケストラの切れ味が抜群で、ロストロポーヴィチの猛烈なボウイングと火花を散らすような対話を繰り広げます。終楽章では、音楽が崩壊寸前のエネルギーを帯びながらも、全体のアーチは見事に保たれており、小澤の構築力が光る。ロストロポーヴィチが作品の本質を知り尽くし、小澤がその世界を現代的な感性でクリアに照射することで、作品の複雑な表情が驚くほど自然に立ち上がってくる点。
ロストロポーヴィチと小澤の共演による《交響的協奏曲》は、プロコフィエフの晩年の複雑な精神世界を、圧倒的な説得力で描き切った名演です。荒々しさ、孤独、ユーモア、そして闘争心。作品に潜むあらゆる感情が、二人の手によって鮮烈に浮かび上がります。
プロコフィエフのチェロ作品を語るうえで避けて通れない録音であり、20世紀音楽の名演としても揺るぎない存在です。ただリヒテルもそうですが、ソビエト時代の方が神経が研ぎ澄まされていたかのようなピリピリとして緊張感があった時の方がよく、せっかく録音技術が良くなったのに、彼らが政治的(経済的?)にも余裕が出た後年の演奏には、それが欠けてしまったようで、大きな音圧と技巧だけが残ったといったら言い過ぎでしょうか。
楽譜 AMAZON→ プロコフィエフ 交響的協奏曲

※当ページはシーサーブログ「クラシック 名曲・名盤求めて三千枚」からの引っ越しページです。徐々にこちらに軸足を変えていく予定です。 旧ページ:クラシック音楽 名曲・名盤CD求めて三千枚
これはCTAサンプルです。
内容を編集するか削除してください。

