クラシック音楽レビュー

漢メンゲルベルクのベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」

メンゲルベルクのリタルダンドとポルタメントは、死語になりつつあるのかもしれません。20世紀前半に活躍したオランダの名指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871〜1951)が残したベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の録音(1940年、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライヴ録音)とバッハ「マタイ受難曲」は、まさに20世紀前半の「ロマン主義的演奏様式」の極致を示す歴史的遺産です。楽想によってテンポを変える、楽器の追加は朝飯前な今では禁止行為のオンパレードのような演奏です。

ナチスドイツに協力的だったことで戦後は演奏活動を禁止され、復帰寸前に世を去ったメンゲルベルク。1930年代にはニューヨーク・フィルの要職をトスカニーニとともに務め、アムステルダム・コンセルトヘボウの指揮者としては50年も君臨し、徹底的に自分の解釈と音を楽団に叩き込みウィーン・ベルリンと並ぶ楽団にした。全盛期は1920年代-40年までの間位で、録音も相当数残っている。40年代に入るとポルタメントやテンポ変化が恣意的(もともと恣意的ながら)になり過ぎ、さすがに音楽の流れが悪くなっていったような気がしてます。フィリップスから発売されたライブ録音集はちょうどいい時期に遺された遺産。

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調「合唱」
トー・ファン・デル・スルイス(ソプラノ) スーゼ・ルーヘル(アルト)
ルイ・ファン・トゥルダー(テノール) ウィレム・ラヴェッリ(バリトン)アムステルダム・トーンクンスト合唱団
オランダ王立オラトリオ協会合唱団
アムステルダム・・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:ウィレム・メンゲルベルク
録音:1940年5月2日 アムステルダム・コンセルトヘボウでのライブ
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​現代の楽譜忠実主義とは対極に位置する過去の指揮者の強烈な主観に基づくこの第9は、今となっては亜流も亜流で曲を愚弄していると思われるのかもしれません。メンゲルベルクの「第9」の録音の特徴としては

1. 楽譜の変更(管弦楽配置の改変) ​メンゲルベルクは、ベートーヴェンの時代の楽器(特にナチュラル・ホルンやトランペットなど)の性能限界によって制限されていた音型を、近代オーケストラの表現力に合わせて大胆に書き換えました。聴いてすぐに判別できる代表的な箇所としては

①第2楽章:中間部(トリオ)直前の金管の補強+強調
第2楽章の急速なスケルツォから、2分の2拍子の端正な中間部(トリオ)へと移行する直前(410小節近辺)。木管楽器の旋律が小さく聞こえにくい。楽譜通りであれば木管楽器が主体となる牧歌的なフレーズですが、メンゲルベルクはここにホルン(ワーグナーが補完したものです)+トランペットを追加し、さらに強調して吹かせています。もはや木管の音は聞こえません。(下記動画だと19:20~)

⓶第4楽章:歓喜の主題提示後のブリッジ部分
第4楽章の前半、トランペットによって歓喜主題が朗々と奏された後、弦楽器⇒木管楽器と楽章冒頭のフレーズに戻るためのブリッジ部分で、木管楽器だけで演奏される部分にヴァイオリンを足しています。もはや元の木管楽器の音が聞こえない位ですが、通常曖昧になりがちなフレーズが明確に耳に残ります。(上記動画だと49:55~)

​2. 弦楽器によるポルタメントの多用

このベルリオーズ「妖精の踊り」はその特徴が顕著。 メンゲルベルクの演奏を最も特徴付けているのが、弦楽器セクションによる「ポルタメント(ある音から次の音へ滑らかに音程を滑らせる技法)」の多用です。現代では抑制される傾向にあるこの技法を、彼はオーケストラ全体に徹底的に仕込みました。第3楽章における横溢はこの天国的な緩徐楽章において、コンセルトヘボウ管弦楽団の第1ヴァイオリンやチェロは、フレーズの跳躍(音程が大きく上がる、または下がる瞬間)のたびに、むせび泣くようなポルタメントをかけます。これは単なる飾りのエフェクトではなく、旋律の「線」を途切れさせず、無限の抒情性を引き出すためのロマン派的な歌口(うたぐち)の徹底であり、聴き手に官能的で濃厚な印象を与えます。

​3. 終曲(ラスト4小節)における超絶的なリタルダンド

これは1938年の録音の最後。解釈は全く同じです。 全曲の締めくくりである第4楽章の結尾部(コーダ)は、楽譜上は「Prestissimo(きわめて速く)」のまま、一気呵成にフィニッシュへと突入します。​しかし、メンゲルベルクは最後のわずか4小節において、文字通り「引き摺るような」猛烈なブレーキ(リタルダンド)をかける。それまでの猛烈な推進力から一転、一音一音の音価を限界まで引き延ばし、巨大なエネルギーが衝突するかのような幕切れを​客観的なスコアの指示を完全に超越した、指揮者こそが創造主であるという時代精神が生んだ典型的な幕切れと言えます。 余談ですが、この終結部分、トスカニーニとストコフスキーはフルートの音型にトランペットを追加してます。

メンゲルベルクの「第九」は、楽譜を忠実に再現する「再現芸術」ではなく、楽譜を素材として指揮者のパッションを具現化する「創造芸術」であった時代の産物です。とりわけ上記に挙げた特徴は、彼がいかに音楽のドラマ性を重視し、聴き手の感情を揺さぶることに全力を注いでいたかを雄弁に物語っています。現代の演奏スタイルとは一線を画す、その圧倒的な「個の表出」は、今なお色褪せることのない魅力を放つ。忘れ去られるのは悲しい。

※当ページはシーサーブログ「クラシック 名曲・名盤求めて三千枚」からの引っ越しページです。徐々にこちらに軸足を変えていく予定です。
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