クラシック音楽レビュー

晩年のカザルスの名盤 シューベルト弦楽五重奏曲

スペインの名チェリスト パブロ・カザルス(1876-1973)はすっかり過去のチェリストになってしまった感があります。それも仕方がないことで、彼のチェリストとしての全盛期は1900-1930年代まで。録音は残っているもののレコード録音自体の黎明期でモノラル。戦後はもっぱら指揮者として、しかもマールボロ音楽祭の時の臨時オーケストラとの活躍が主だったため、その演奏録音もそれほど評価が高くない。そんなカザルス晩年の逸品がシューベルトの弦楽五重奏曲。

室内楽曲でしかも渋い曲。弦楽五重奏というだけでも珍しいですが、通常弦楽五重奏はヴァイオリンが2、ヴィオラ2・チェロ1。しかしこの曲ではチェロの代わりにヴィオラが1でチェロが2。当然その分響きに厚みが出る。響きだけでなく、曲もヴィオラ・チェロが活躍するように書かれています。シューベルト特有の耳馴染みのいい旋律がちりばめられた名曲で、また最晩年(と言っても30代前半)の作品。それを20世紀を代表する音楽家の一人パブロ・カザルスが最晩年に取り上げる。その二つかかけ合わさったためか、何とも不思議なインパクトを与えてくれる名演奏です。

シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調
ヴァイオリン:シャーンドル・ヴェーグ
       シャーンドル・ツェルディ
ヴィオラ:ゲオルグ・ヤンツェル
チェロ:パブロ・カザルス
    パウル・サボ
1961年 プラド音楽祭ライブ録音
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交響曲「グレート」を濃縮したような、魅力的な旋律の連続、そして迫力にも満ちた作品です。シューベルトがモーツァルト並みの天才だったことを再認識。録音もリアリティが高く、オンマイクで素晴らしい。晩年のカザルスが、人生のすべてを音にした瞬間を捉えた奇跡の記録。技巧や完成度を超え、人間の魂そのものが響いている。シューベルトの音楽が、老巨匠の人生と重なり合い、唯一無二の感動を生んでいます。支えるのはほぼヴェーグ弦楽四重奏団のメンバー。

カザルスはこの曲を愛しており、1972年にも同音楽祭で演奏しているものの、もうその時は95歳。指揮者として舞台に立つことはあっても、室内楽を演奏する体力は限界でした。しかし、この曲だけはどうしても演奏したかったそうで、理由は若い頃から愛してやまなかった作品で「人間の心の最も純粋な部分を描いた音楽」と語り、晩年は平和への祈りを込めて演奏したいと願っていたから。演奏を終えたカザルスは、控室で「シューベルトは、今日も私に生きる力をくれた。」と語ったとのこと。


1961年の録音は、1972年プラドの“最晩年の祈り”とはまったく異なる魅力を持つ。ここには、晩年に差しかかったカザルスが、まだ演奏家としての集中力と精神力を保ちつつ、人生の深みを音に刻んだ瞬間がある。1961年のカザルスは 84歳。すでに演奏家としては晩年に入っていたが、精神は驚くほど若々しく、音楽への情熱は衰えていなかった。この年は、カザルスにとって
・ケネディ大統領からホワイトハウス演奏の招待を受ける(翌1962年実現)
・国際的な平和活動が本格化
・プラド音楽祭が成熟し、室内楽の質が飛躍的に向上
という時期でした。そんな中で録音されたシューベルトの五重奏は、晩年の巨匠が、まだ演奏家としての炎を燃やしていた時期の記録として特別な価値を放っています。



第1楽章、テンポはゆったりだが、音楽の流れが途切れず、深い呼吸で進む。 全体的に音の輪郭が明瞭でアンサンブルの呼吸が自然なのが特徴。ただライブ録音ならではの会場の張りつめた空気が濃密に漂っている。特にこの第1楽章は、晩年のカザルスとは思えないほどの集中力と構築力があり、シューベルトの長大な構造を見事に支えている。カザルスのチェロは、語り手として作品全体を導く。

ベームやルービンシュタインに愛され、彼らの葬儀に使用された第2楽章。各楽器の音が漂い瞬いている。単なる伴奏のピチカートでも、カザルスが名器ゴリフラで奏でると意味深く響き、人生の痛みと希望を同時に抱えたような音色で、聴く者の心を深く揺さぶる。第3楽章の荒々しいスケルツォ、じっくり楽想を刻んでいながらも勢いが感じられる第4楽章。プラド黄金期のアンサンブルが生き生きと響き、晩年のカザルスらしい温かさとユーモアが満ちている。


特に終曲部は曲も演奏も圧巻の出来で、室内楽の範疇を越えています。楽器構成にも依るのでしょうが、終始演奏をリードするカザルスとヴェーグのぶつかり合いが見事です。アンサンブルは完璧ではないですし、カザルスの技巧も衰えている。ただライブながらの駆け引きと緊張感が約1時間の大曲を貫いています。「この音楽を弾くと、私は若返る。」と演奏後語ったと言われています。

この曲は長調で作曲されていて、魅力的な旋律に溢れていますが、不思議と短調のように聞こえ「諦念」を感じさせられる。生への諦めがつき天国を夢想しながらも、心の奥底で地面に這いつくばり「まだ生きたい」ともいう気持ちが消えない。

この演奏にはカザルスのまだまだ生きる気持ちの強さが込められている。その力強さが抑え込む諦念の反動を生んで、なんともいえない無常感を伴う感動を与えてくれます。この録音は、技巧の完成度ではなく、人間の真実がそのまま音になっている。シューベルトの音楽が、晩年の巨匠の人生と重なり、聴く者の心に静かに、深く、沁みてくる。

※当ページはシーサーブログ「クラシック 名曲・名盤求めて三千枚」からの引っ越しページです。徐々にこちらに軸足を変えていく予定です。
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