シュミット=イッセルシュテット&VPOの『第九』
英デッカ(Decca)の初期に録音されたハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン『交響曲第9番《合唱付き》』。実演のコンサートでは一度も実現しなかった組み合わせが、なぜこれほどの録音を残せたのでしょうか。
1. 父イッセルシュテットと息子エリック・スミス
このプロジェクトを裏で動かしてのが、英Deccaの優秀なプロデューサーであったエリック・スミス(Erik Smith)です。
スミスは、指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットの実の息子でした(ナチス政権下に母とイギリスへ亡命したため英姓を名乗っていました)。父親の持つ「スコアに誠実で、堅実かつ完璧な造形美を生み出す職人技」を誰よりも深く知っていたスミスは、Decca初となるステレオ・ベートーヴェン全集の指揮者に実父を大抜擢します。この前にバックハウスとの協奏曲全集でも成果を挙げていたこと、スーパー指揮者たちに比べればギャラも安く済むというビジネスの側面もあったとは思われます。
ゾフィエンザールで行われたセッションでは、父と息子の圧倒的な信頼関係が結実しました。威圧的な奇策に頼らず、ウィーン・フィルの豊潤な伝統音をそのまま引き出す父の演奏姿勢を、息子が見事なマイク設営とプロデュースで美しく盤面に捉えています。
2. 合唱指揮の巨匠:ヴィルヘルム・ピッツ
この『第九』の録音でもっと注目されるべき点、合唱指揮者がヴィルヘルム・ピッツ(Wilhelm Pitz)だということ。
バイロイト音楽祭合唱団の音楽監督として「バイロイトの合唱を世界一」へと育て上げたピッツは、当時ロンドンのフィルハーモニア合唱団の訓練も手掛けていた合唱界の頂点に立つ名匠でした。
【合唱(ウィーン国立歌劇場合唱団)の圧倒的精度】
ピッツの手によって緻密にトレーニングされた合唱陣(ウィーン国立歌劇場合唱団)は、第4楽章「歓喜の歌」で鳥肌が立つほどの精度と熱量を見せつけます。
- 圧倒的な明瞭度: ドイツ語の発音(ディクション)が完璧に揃い、ポリフォニーの動きがクリアに聴き取れる。
- 力強さと気品の両立: 大音量でも決して叫び声にならず、ノーブルで豊かな響きを保ち続ける。
ウィーン・フィルの黄金色のオーケストレーション、名歌手たちのソロ(サザーランド、ホーン、キング、タラヴェラ)、そしてピッツ率いる合唱団が一体となっていて感動的です。
3. 聴きどころ:奇をてらわない「正道」
カラヤンの流麗さやバーンスタインの情熱とは異なり、シュミット=イッセルシュテットの指揮は極めて質実剛健です。ところが以外に鳴らすところはしっかり鳴らす。(意外と鳴りにくい第1楽章の中盤の第1楽章再現部等)
ただテンポの無理な揺らしや過度なデフォルメは一切ありません。しかし、だからこそウィーン・フィルの美音そのものと、ベートーヴェンがスコアに込めた構造美がダイレクトに胸に迫ります。
父の端正な指揮、息子の好プロデュース、ウィーン・フィルの伝統の響き、そしてピッツの精密な合唱指揮――。すべてのパズルのピースが完璧に合致した『第九』は、今なお時代を超えてオーディオファイルや音楽愛好家を魅了します。
アナログ盤(デッカ初期盤)で聴く『第九』
もしこの盤のUKデッカ初期盤(SXL 6233)をお持ちなら、ぜひレーベル面や溝(デッドワックス)も観察してみてください。私は2種持っています。ワイドバンドの溝有と溝無です。溝有が所謂2版、溝無が3版と言われています。ここで謎。第2面の内周の余白が違うのです。何故このようなことが起こるかというと大元のラッカー盤自体が違うからです。溝有は-23Gで溝無が-32G。これだけラッカー盤が切られるというのは異例で当時としては相当売れたということなのでしょう。
当時は第9は2枚組で発売されることが普通で高かったはずです。このイッセルシュテット盤は最初から1枚で第3楽章の途中で盤面が変わります。音質的にはちょっと不安なものののウィーンpoの第9をステレオでという愛好家は多かったでしょうし、知名度のない指揮者のレコードをより多く売るためという側面もあったのかもしれません。日本初版は2枚組だったと思います。左が溝有、右が溝無。

音の鮮度を保証する若いスタンパー・コードや名エンジニアの手仕事とともに、父と息子、そして音楽家たちがスタジオで生み出した奇跡の熱量が、今も盤面から立ち上ってくる。こういった妄想もアナログレコード蒐集の面白さです。
これはCTAサンプルです。
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